東京高等裁判所 昭和58年(行ケ)16号 判決
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、本件当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の取消事由の有無について、以下判断することとする。
1 本願発明と引用例とのエチレンジアミン混合液の組成及び蒸留手段の相違の有無について
前記争いのない本願発明の要旨に成立に争いのない甲第三号証の一ないし三(本願発明の願書及び添附の明細書並びに手続補正書)を総合すると、本願発明は、少量の水を含有するエチレンジアミンの製法を目的として、その目的を達するため、前記本願発明の要旨のとおりの構成を採つたものであり、エチレンジアミンと水との混合物中の「エチレンジアミンと水との比率を共沸平衡での比率以上にする」ことはその必須の構成をなすものと認めることができる。他方、成立に争いのない甲第二号証(引用例)によると、引用例はエチレンジアミン又は含窒素複素環化合物の製造方法に関する発明で、高収率でエチレンジアミンを得ることを目的の一つとするものであつて、その四頁左欄末行から一三行目ないし七行目に「触媒を除去された反応生成物を分別蒸留した。低沸点生成物及び水は最初の分別蒸留物である。一一〇度Cないし一二〇度C間で蒸留される分留物は一三〇gのエチレンジアミンよりなり、一四〇度Cないし一六七度Cの間で蒸留される分留物はピペラジン、2―メチルピペラジン並びにジメチルピペラジンの混合物四八gであり、これは普通の分析方法によつて分離及び鑑定された」旨の記載があること(なお、本件審決認定の引用例の記載内容については、原告の認めるところであるが、右記載内容が上記認定の記載を要約したものであることは明らかである。)、しかし、「エチレンジアミンと水との比率を共沸平衡での比率以上にする」まで水を分別蒸留して除去する旨(引用例にこの点の記載がないことは、当事者間に争いがない。)及び前記触媒を除去した反応生成物を分別蒸留するに当たつて、まず水を除去するが、水の留出を途中で止める旨の記載のないことが認められる。そして、右の引用例の記載からみると、引用例において、触媒を除去した反応生成物の液組成は、ピペラジンを含むエチレンジアミン及び水よりなる多成分系のものであることが明らかであり、また、水の留出を途中で止める旨の記載がないこと及び引用例の発明の目的を考えると、引用例には、ピペラジンを含むエチレンジアミン及び水を分別蒸留し、まず最初の分別蒸留段階で留出する水を途中で中止することなく可能な限り除去し、次いで一一〇度Cないし一二〇度C間でエチレンジアミンを留出させる技術を開示しているものと解することができる。以上認定説示したところに徴すれば、本願発明と引用例とは、ピペラジン含有のエチレンジアミン及び水よりなる混合物を分別蒸留してエチレンジアミンを得る点で一致し、右混合物の組成及び蒸留手段において差異があるものということができない。もつとも、前示のとおり引用例には、本願発明の構成をなしている「エチレンジアミンと水との比率を共沸平衡での比率以上にする」点について記載するところはないが、前掲甲第三号証の一(本願発明の願書及び添附の明細書)によれば、エチレンジアミンと水とは、沸点が約一一八・五度C、組成がエチレンジアミン八二パーセント、水一八パーセントの共沸混合物を形成するものであるところ、本願発明にいう「エチレンジアミンと水との比率を共沸平衡での比率以上にする」とは、右共沸混合物におけるエチレンジアミンと水との割合よりもエチレンジアミンの割合を高くし、水の割合を低くする(含水率を低くする。)ことを意味するものであるから、引用例記載の技術においても、前認定のとおり、本願発明と同様に、低含水率のエチレンジアミンを得る方法として、ピペラジンの存在下で、エチレンジアミンと水との混合物の中からまず水を分別蒸留して除去するものであつて、混合物の組成、分別蒸留手段において本願発明と格別異なるところがない以上、分別蒸留の結果として、エチレンジアミンと水との混合物の中から、本願発明にいう「エチレンジアミンと水との比率を共沸平衡での比率以上にする」まで水を分別蒸留して除去するという技術的思想が開示されているものと解するのが相当であり、その効果も両者に格別の差異があるものとは認めることができない。この点に関して、原告は、本願発明の明細書の「発明の詳細な説明」の項に記載した具体的な蒸留補剤とエチレンジアミンとの重合割合及び蒸留カラムの底部温度を挙げて、右重合割合及び蒸留温度の特定は、「エチレンジアミンと水との比率を共沸平衡で比率以上にする」という本願発明の構成と表裏一体をなすものであるところ、引用例には右のような記載がないから、本願発明と引用例記載の技術とは、混合物の組成、分別蒸留手段において異なる旨主張する。しかし、本願発明の構成は、前説示のとおりであつて、蒸留補剤とエチレンジアミンとの重量割合や蒸留カラムの底部温度についてはなんら限定するところがないから、右のような具体的な混合物の組成、分別蒸留手段をもつて、本願発明の必須の構成とみることはできずこの点を前提として、本願発明と引用例記載の技術とが、異なる旨の原告の上記主張は到底採用しえないものというべきである。
2 本願発明により得られるエチレンジアミンと引用例の方法によるものとの含水率の相違について
(一) 原告は、引用例ではエチレンジアミンの留出温度が一一〇度Cないし一二〇度Cの範囲にわたつており、このことは、エチレンジアミンの沸点が一一六・五度Cであることからみて、当該留分にエチレンジアミン以外の成分(水)が含まれていることを示す旨主張し、前認定の引用例の記載内容によれば、エチレンジアミンの留出温度について原告主張のとおりの記載はあるけれども、引用例の技術においては、触媒を除去した反応生成物からまず低沸点生成物及び水を分別蒸留し、次いで一一〇度Cないし一二〇度Cの間でエチレンジアミンを分別蒸留し、一四〇度Cないし一六七度Cの間でピペラジン等を分別蒸留するというのであるから、低沸点生成物及び水を分別蒸留した後の留分には、エチレンジアミン以外にピペラジン等が含まれているものと解され、したがつて、引用例において、エチレンジアミンを分別蒸留した時の温度がその沸点である一一六・五度Cでないからといつて、エチレンジアミン以外の物が多量の水を意味するものとはいえず、また、単にエチレンジアミンと水との関係を示すに止まるエチレンジアミン―水共沸系平衡曲線(成立に争いのない甲第四号証)を根拠にして、引用例記載の分別蒸留したエチレンジアミンに多量の水が含まれているとすることもできない。なお、成立に争いのない甲第五号証によれば、ユハン・ケルは、引用例記載の実施例一に開示された情報に基づいて第一及び第二の比較テストを行い、第一の比較テストでは、蒸留カラムの底部温度を水の分別蒸留時には一二三度C、エチレンジアミンの分別蒸留時には一二三度Cないし一三一度Cに設定し、また、第二の比較テストでは、エチレンジアミンの分別蒸留時の蒸留カラムの底部温度はほとんど一四〇度C以下であつたことが認められる。ところが、前掲甲第二号証によれば、引用例記載の実施例一には、蒸留カラムの底部温度についての記載はないから、右比較テストをもつて引用例記載の実施例一の追試実験であると即断することはできず、同号証をもつて直ちに原告に有利な証拠というをえない。それゆえ、したがつて、原告の叙上主張は理由がないものというほかはない。
(二) 原告は、水―エチレンジアミンのような共沸混合系にあつては、水は一〇〇度C以上の温度でも蒸留されるため、本願発明ではカラムの底部温度を特定し、また、特定の蒸留補剤を特定量存在させることにより水を分別蒸留しているところ、引用例にはこの点の技術的手段の開示がない旨主張する。しかし、前説示のとおりカラムの底部温度や蒸留補剤とエチレンジアミンとの重量割合は本願発明の構成をなすものでないから、右事実を前提にして本願発明と引用例記載の技術とが異なる旨の主張は失当というべきである。
三 以上のとおりであるから、本願発明をもつて、特許法第二九条第一項第三号に該当し、特許を受けることができないものとした本件審決は相当であり、その取消しを求める原告の本訴請求は理由がないものというほかはない。よつて、これを棄却することとする。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
(一) エチレンジアミンと水との混合物から水を除去し、エチレンジアミンと水との間の共沸平衡以下の含水率を有するエチレンジアミンを製造する方法において、前記混合物をピペラジンとジエチレントリアミンとオキシエチルエチレンジアミンとアミノエチルピペラジンとで構成されるグループから選択される少なくとも一種以上の化合物から成る蒸留補剤の存在下で水を分別蒸留して除去することにより該混合物中のエチレンジアミンと水との比率を共沸平衡での比率以上にし、次いで、得られた混合物からエチレンジアミンと水とを同時に分別蒸留により回収することを特徴とする含水率の低いエチレンジアミンの製法
(二) 前記エチレンジアミンと水との混合物がモノエタノールアミンまたはエチレングリコールをアンモニアで触媒を用いてアミノ化することにより得られ、前記蒸留補剤が副生物として形成されることを特徴とする特許請求の範囲(1)に記載の含水率の低いエチレンジアミンの製法